![]() | 美しい人 デラックス版 (2007/02/23) キャシー・ベイカーエイミー・ブレナマン 商品詳細を見る |
ウイリアム・フィクナー目当てで見たが、
とても9人の女達のとても切ない物語だった。
1話が10分程度の短い映像だけれど、
それぞれがひとりの女性の人生の断片を鋭く鮮やかに切り取って
映し出しているようで、惹きこまれた。
印象深かったのは、まず第2話のダイアナ。
スーパーで10年ぶりに昔の恋人に再会して、それぞれの近況を
語り合う。自分は妊娠して大きなお腹を抱え、男も既に結婚している。
懐かしさを振り切るように一旦は別れるが、男は駆け戻り
「まだ愛している」と告げ去っていく。
ダイアナが何事もなかったように日常に戻ろうとして、
それでもたまらずに駐車場まで男を追って行く姿が切なかった。
第6話ローナは、別れた夫アンドリュー(ウイリアム・フィクナー)
の後妻の葬儀に参列する。
後妻の自殺の原因だろうと疑う周囲の冷たい視線に耐えかねて
葬儀会場から抜け出そうとするローラをアンドリューは、
強引に個室に連れ込む。
聴力障害者であるアンドリューが手話と不自由な発音で
懸命にローラに愛を乞う場面が切なく哀しかった。
自分の元を去ったローラの身代りに結婚し、
その後もローラを想い続け、後妻を苦しめ死に追いやっても尚、
葬儀の直前に、性急に身体を求める男・・・そして
それを受け入れて仕舞う女。
罪の意識に震えながら、同時に背徳の蜜の味に酔いながら
どうしようもなく罪深く哀しい愛の姿だ。
第9話マギーは娘マリアと墓参りに訪れる。
布を広げピクニックのように寛ぐ二人だけれど、
穏やかな時間が過ぎてその場に残るのは、マギーの姿だけだ。
マギーが年老いた老女の姿で、マリアが幼い少女の姿だった訳が
明らかになる。
マギーの孤独、切なさが胸に迫った。
全9話の女性たちは、どれもまるで人生のエアーポケットに
嵌り込んだような場に居る。
それでも、愛を抱きしめて
“耐えていかなくちゃな、生きていかなくちゃなぁ”
そういうことなのだろうなと思った。
映画「火の鳥」実写版
公開当時に映画館へ観に行った時の記憶は、
「長かった。」という事くらいしか覚えていなかったが、
今こうしてじっくり観てみると、あの頃よりずっと楽しめた。
猿田彦を若山富三郎、少年ナギを尾美としのり、
ヤマタイ国女王ヒミコを高峰三枝子、ヒミコの弟スサノオを
江守徹、天弓彦を草刈正雄、ジンギを仲代達矢、
その他女優陣に大原麗子、由美かおる、草笛光子、風吹ジュン・・・
非常に豪華な顔ぶれだ。
かなり原作に忠実に描かれている。
国と国、人と人が、力を競い、謀略と殺戮に明け暮れる姿、
権力を手にした者が次に老いを恐れ、不老不死を願うあさましさと弱さ、
ヤマタイ国のスパイとしてクマソの国に入り込み、
族長を信用させ大原麗子が演じる娘ヒナクの婿となるグズリ役
林隆三。ヒナクとグズリが愛憎を越え、
阿蘇の深い崖下の暗闇で子供を産み育て生き永らえて行こうとする姿が
印象的だった。
若く美麗な草刈正雄や沖雅也、田中健も出演していたが
やはり一番惹きつけられたのは、若山富三郎だ。
女王ヒミコに忠誠を誓う戦闘能力屈指の力強い戦士の姿と
心の純粋さ、ナギを守ろうとする愛の大きさ・・・
男っぷりに惚れる。
中盤、火の鳥がナギに
『幸せを求めているからこそ、あなたは死ななければならないのよ。』と
テレパシーで語りかけるシーンがある。
あれは、深い。
猿田彦の子を宿したウズメ由美かおるが己の妻になるようにと迫る
ジンギ仲代達矢に、
『命は、小さな虫にもあるし、空のような大きなものにもある。
日が照り続ける限り、命は根絶やしにできないのよ。』と
毅然と言い放つ。
女の性の神々しさを感じた。
映画の最終場面は、火の鳥の声に励まされ、導かれ、
ようやく地上へ這い上がったタケル田中健の目前に
遥かな山脈が連なる光景だった。
青年の前に新しい命を紡ぐ道がどこまでも広がって行く。
“信じるために 何のために
生まれてきたかの意味探るぞ”
YOSHII LOVINSON「PHOENIX」のメロディーを
最後に思い浮かべた。
公開当時に映画館へ観に行った時の記憶は、
「長かった。」という事くらいしか覚えていなかったが、
今こうしてじっくり観てみると、あの頃よりずっと楽しめた。
猿田彦を若山富三郎、少年ナギを尾美としのり、
ヤマタイ国女王ヒミコを高峰三枝子、ヒミコの弟スサノオを
江守徹、天弓彦を草刈正雄、ジンギを仲代達矢、
その他女優陣に大原麗子、由美かおる、草笛光子、風吹ジュン・・・
非常に豪華な顔ぶれだ。
かなり原作に忠実に描かれている。
国と国、人と人が、力を競い、謀略と殺戮に明け暮れる姿、
権力を手にした者が次に老いを恐れ、不老不死を願うあさましさと弱さ、
ヤマタイ国のスパイとしてクマソの国に入り込み、
族長を信用させ大原麗子が演じる娘ヒナクの婿となるグズリ役
林隆三。ヒナクとグズリが愛憎を越え、
阿蘇の深い崖下の暗闇で子供を産み育て生き永らえて行こうとする姿が
印象的だった。
若く美麗な草刈正雄や沖雅也、田中健も出演していたが
やはり一番惹きつけられたのは、若山富三郎だ。
女王ヒミコに忠誠を誓う戦闘能力屈指の力強い戦士の姿と
心の純粋さ、ナギを守ろうとする愛の大きさ・・・
男っぷりに惚れる。
中盤、火の鳥がナギに
『幸せを求めているからこそ、あなたは死ななければならないのよ。』と
テレパシーで語りかけるシーンがある。
あれは、深い。
猿田彦の子を宿したウズメ由美かおるが己の妻になるようにと迫る
ジンギ仲代達矢に、
『命は、小さな虫にもあるし、空のような大きなものにもある。
日が照り続ける限り、命は根絶やしにできないのよ。』と
毅然と言い放つ。
女の性の神々しさを感じた。
映画の最終場面は、火の鳥の声に励まされ、導かれ、
ようやく地上へ這い上がったタケル田中健の目前に
遥かな山脈が連なる光景だった。
青年の前に新しい命を紡ぐ道がどこまでも広がって行く。
“信じるために 何のために
生まれてきたかの意味探るぞ”
YOSHII LOVINSON「PHOENIX」のメロディーを
最後に思い浮かべた。
![]() | ふたりの5つの分かれ路 (2006/02/24) ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ 商品詳細を見る |
味わい深い映画でした。
映画の冒頭は、子ども養育についての様々な取り決め、養育費や税金や裁判費用など
細々とした金銭の事、それらに合意して男と女は、離婚を成立させる。
離婚を決めた後、数年ぶりに肌を合わせる二人がとても切なかった。
一瞬でも奇跡を信じたのだろうか。
信じた振りをしたのだろうか。
「やり直せないか。」と問いかけた男も、黙って扉を閉めた女も
ただただ哀しかった。
次の場面は、時間を遡って、二人の子供がまだ幼い頃、
ジルのゲイの兄とその恋人を招いたある夜のエピソードだ。
ジルもマリオンも可愛い息子に愛情を注ぎながらも
二人の生活には、どこか翳が忍び寄っているようだ。
続いてマリオンの出産のエピソードだ。
早産になった事を告げられたジルは、妻の出産への立ち会いから逃げてしまう。
「父親になる」という自覚や責任と向き合う準備が出来ていなかったのだろうか。
マリオンの父母の姿からも考えさせられた。
次に映し出されるのは、結婚式の場面。
賑やかな幸せそうな結婚式の宴、だけれども
その夜、妻は、行きずりの男に身を任せて仕舞う。
そして最後のエピソードは、二人の出逢いだ。
ジルとマリオンが付き合うきっかけとなったリゾート地では、
ジルには別のパートナーがいた。
けれどもマリオンとジルは、互いに深く惹かれあって行き・・・
ラストシーンの夕焼けの海の美しさが際立っていた。
二人が夕日に向かって沖へ沖へと遠ざかっていく様子が
切なくて堪らない。
男と女の別れ道・・・
『どっちが勝ちだとか負けだとかなんてない。ただ終わっただけ。』
愛の終りは、哀しいね。
YOSHII LOVINSONの「TALI」のメロディーを思い浮かべた。
『永遠ってむなしいもんさ 愛してるのは君だけだ
”辛かった””楽しかった” 積もうね積もうね BABY I LOVE』
永遠なんてないと判っているからこそ、愛は限りなく尊く美しく輝くのだろうね。
![]() | 悪人 (2007/04/06) 吉田 修一 商品詳細を見る |
ひとつの殺人事件が起こり、その被害者と捜査上に浮かんだ容疑者の家族、
友人、同僚たちの証言が静かに積み重ねられていく。
田舎に暮らす者の閉塞感、寂寥感、孤独感を強く感じた。
何かがほんの少しズレて仕舞っただけで、殺人にまで至った悲劇なのだけれど、
何をもって「悪」なのか「善」なのか、読み終えて私の価値観が
少し揺らいだような感覚を覚えた。
終盤近くで被害者の父親が事件のきっかけになった男性に
『今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、
何でもできると思いこむ。自分には失うもんがなかっち、
それで自分が強うなった気になっとる。失うものもなければ、欲しいものもない。
だけんやろ、自分を余裕のある人間っち思いこんで、失ったり、
欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした目で眺めとる。
そうじゃなかとよ。本当はそれじゃ駄目とよ。』と語る場面があるが、
この言葉が強く心に残った。
「強さ」ってなんだろうね。
祐一は、自分の心も上手く相手に伝えられないような
不器用な男だったけれど、光代に出会ってから、光代に受け入れられてからは、
強くなったのじゃないかな。
『早う事件のことを忘れてくれって……。馬込さんなりに幸せになってくれって……。』
そう言える強さ。
祐一の祖母がオレンジ色のスカーフを巻いて、事務所に乗り込んでいくシーンが好きだ。
『……これまで必死に生きてきたとぞ。アンタらなんかに……、
アンタらなんかに馬鹿にされてたまるもんか!』
それにしても『純愛』というものは、儚いものだね。
どんなに愛し合い、かけがえのない物だと信じていても、
距離や時間や世間の声で揺らぐものなのか。
『あの人は悪人やったんですよね?』
「被害者」であることを受け入れて社会復帰した光代よりも
最後に加害者であることを主張した祐一の方が
救われたのだと私は、感じた。
「善」か「悪」かなんて、人の形のプリズムから発せられた
その時々の光にしか過ぎないと思った。
![]() | サンタ・サングレ 聖なる血 (2003/07/04) アクセル・ホドロフスキー 商品詳細を見る |
アレハンドロ・ホドロフスキー監督の「サンタ・サングレ 聖なる血」を観た。
この作品の名前を知ってから随分経つ。
けれど、あまりに血生臭い猟奇映画だという先入観があって
今まで見そびれていた。
けれど、年末発売予定の吉井和哉自伝に書かれていると告知された
「母の呪縛」という言葉をきっかけに、ようやく観る踏ん切りがついた。
確かにグロテスクではあった。
けれどとても美しい映像だとも感じた。
何故もっと早く体験しなかったのかと悔まれた。
主人公フェニックスは、不死鳥、死して再び蘇るもの。
アルマは、スペイン語で魂。母コンチェは、貝、女性器の象徴。
父オルガは、生、性?
物語のラストにフェニックスは、残酷な現実を突き付けられたけれど、
彼は、あの「私の手だ!」というあの場面で、
真に解放されたのだと思う。
画面に映し出された
私はあなたに手を差し延べ
わが魂は渇いた地のようにあなたを慕う
道を教えたまえわが魂はあなたを仰ぐ
詩篇143篇
アルマがフェニックスの呪縛を解いていくシーンに
流れる音楽がとても優しく哀しく響いて胸に迫って来た。
フェニックスの少年時代と青年時代を演じたのが
監督の息子達だという事に驚いた。更に劇場の切符売りも。
美形揃いだ。手が美しい。
切り落とされた母親の両腕に為り代って、
舞台で演じたりピアノを弾いたりするフェニックスの
手指は、本当に艶かしく、手指自体に人格が宿って
蠢いているようで、妖しく美しかった。
「GENIUS INDIAN TOUR」で映し出された映像の
蠢く赤い指先を思い出した。
観終わって考えたのは、「呪縛」を解くのは、
「赦し」ということなのかなあという事だ。
人を自分を赦すというのは、本当に難しいことだよね。
でも、いつか必ず、その日が早く来ますように!









