太陽を曳く馬〈上〉 (2009/07) 高村 薫 商品詳細を見る |
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つい先日文庫化された「レディージョーカー」を読んだばかりだったので、
この「太陽を曳く馬」での合田雄一郎の変貌ぶりに驚いた。
合田は、もとより危うい男だったと思う。
けれどもそれは、瑞々しい感性と生真面目さと誠実さの表皮から、
時折肉体の奥に孕む熱いマグマが奔出してしまうような、
我が身の危険など全く顧みず、事件の深い闇へ突進しかねない危うさだった。
それがこの「太陽を曳く馬」での合田は、これが同じ人間か!?と
驚くほど様変わりしていた。
精気がない。「生」に倦み疲れたかのようだ。
何より合田が「おまえは」と二人称で自問自答していることに慄いた。。
「レディージョーカー」事件の時には、
合田の留守中勝手に家へ上がり込み、手料理を作り、
アイロンがけまで仕上げていくなどという
合田の守護神であるかのようだった加納も今は、遠く離れている。
彼が検事を辞めて判事となって大阪に移ったというのにも
驚いたけれど。
ともあれ、合田がこういう危うい淵の際にかろうじて立っている
というような状況で対峙するのが、福澤秋道、末永和哉という
それぞれ困難極まりない謎なのだから、
しかも文中にこれでもかと現れて来るのが、
美術と色彩と円環と禅とオーム教についての
夥しい文言。
文字を読むことは出来ても、実際には、どれだけ理解出来ただろうか
非常に心もとない。
けれどもとても惹き付けられて読み進んだ。
《私》たるものの自由、《私》の生、《私》の拒絶、
『自由である意志』『自由である死』。
合田が最後に手に入れた彰閑の手紙の章で
涙しました。
父親の死にゆく息子へ宛てた思いの深さに打たれたということもあります。
『バーミリオンの光は、君を意味へ、世界へ、生命へ、
生きることへと押し出していく當のものだったはずだと。』
『「太陽を曳く馬」の 版は・・・
君が生命の跳躍をしたことの徴だった』
この言葉が心に残りました。
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